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第13話 「特別措置法」具体化と狭山差別糾弾闘争

■同和対策事業特別措置法
一九六九年七月に国会で同和対策事業特別措置法が制定され、山口県内でも同和対策事業の実施が本格化していく。
山口県では具体的な施策の実施に向けては一九七一年に「同和対策を計画的に推進するための基本的方策」(部対審答申)を、続いて一九七三年の「同和対策の部門別具体的方策」(部対審建議)を踏まえて同年「同和対策基本計画」を策定した。
教育分野では一九七〇年に第三次「山口県同和教育の方針」が策定され、二四年後の一九九四年には第四次「山口県同和教育の方針」が策定されている。
担当部署は一九七〇年には社会教育課同和教育係、一九七二年からは独立して同和教育振興室、翌年一九七三年から同和教育課となった。
事業の拡大とともに行政機構も整備され、山口県として同和対策推進強調旬間や同和対策推進大会を開催、ポスターなども作成。

■「同対審」答申をめぐり対立
一方、一九六五年以後に部落解放同盟内部では同和対策審議会答申の評価をめぐる理論的・組織的対立が鮮明となり、そうした中で、一九六九年一〇月一五日に山本利平(当時六五歳、山口県連書記長・中央委員/県会議員)が部落解放同盟中央統制委員会から除名され、山本らはその後、部落解放同盟正常化全国連絡会議(正常化連)へ参加していく。

■県連の再建大会
こうした状況のなかで、一九六九年一二月一六日には県連再建のため第一八回大会が山口市内で開催され、新役員に委員長・松橋武男、書記長・松浦憲二などを選出。一九七一年四月には山口市会議員選挙で県連書記長の松浦憲二が初当選。国政では、一九七二年七月に山口県出身の佐藤栄作から新潟県出身の田中角栄に内閣総理大臣が交代する。
続いて一九七二年一二月三日に山口市内で開催された県連第二一回大会では、県行政に対して「地区整備、部落解放のための教育の促進、『二つの部落解放同盟盟』の陰謀に加担しないこと」などを要望することを決める。

■テレビ山口・ニセ書記長出演 しかし、翌年の一九七三年九月一日にテレビ山口が放送した「県民の広場」という番組の中で、テレビ山口の吉田業務部長が「正常化連」の村崎勝利を「部落解放同盟山口県連合会書記長」との扱いで対談するという問題が起こった。九月二日に県連が「抗議と申し入れ」を行ない再放送は中止となり、テレビ山口は混乱を与える性格のものであったと認めた。

■狭山差別裁判糾弾闘争
同時期、部落解放同盟は一九六九年の全国大会で一九六三年に埼玉県で起きた狭山事件に対して、「狭山事件の公正な裁判と無実の石川青年を即時釈放することを要求することの決議」をし、一九七〇年からは狭山差別裁判糾弾闘争を全国で取り組む。
そして、一九七四年九月には東京の日比谷公園で一一万人集会を開催し労働組合などとの共同闘争が前進するが、一〇月三一日に東京高裁は被告・石川一雄に無期懲役という不当な判決を出した。
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