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第12話 「同和対策審議会」答申 完全実施要求

 

◆内閣「同和対策審議会」答申
一九六五年八月一一日、内閣総理大臣・佐藤栄作に対して同和対策審議会(会長・木村忠二郎)は「昭和三六年一二月七日総審第一九四号をもって、諮問のあった「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」について審議した結果、別紙の通り答申する」とした。

答申の前文には「その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題であるとの認識に立って対策の探求に努力した」と記した。

答申には、環境部会・産業職業部会・教育部会・調査部会の報告が附属されている。全国一六ヶ所の「地区精密調査」の中に、防府市内の被差別部落の一つが対象(一一四世帯)になっている。

また、被差別当事者としての審議会委員には全日本同和会会長の柳井政雄(山口)、部落解放同盟常任中央委員の北原泰作(岐阜)が参加していた。専門委員も当事者から選出された。

答申以後、全国で同和行政をめぐり施策が具体化されていく。つまり、全国の被差別部落で高度経済成長のもとに同和対策事業は公共事業として実施されはじめる。

◆「同対審」答申 国民大行進
一九六六年八月一一日から九月一二日まで「同対審」答申完全実施要求国民大行進が九州から東京まで行われ、山口県連から松浦憲二が隊員として参加した。行進隊は八月一五日に下関市に到着し、山口市で県民総決起集会を開催。そして山口市周辺の被差別部落に入り活動。一六日には光市に泊り、一七日には広島県に入った。

翌年、一九六七年四月には県連書記長の山本利平(下関市)が県会議員に初当選した。その後、一九七九年四月(三期/一二年間)まで、日本共産党公認の県会議員として活動する。

◆県職員ハワイ差別事件
さらに、県連は一九六七年一〇月二日に県庁労働民生部長室で県知事交渉を行なった。

県連から約五〇名が参加し、県当局からは橋本知事、倉重労働民生部長、古谷同和対策室長らが出席。交渉では防府市議会議長差別事件やハワイにおける差別事件(知事がハワイに公務で訪れた時に、随行職員が県人会会長に招待客のAが部落出身であることを話したことによりAが継続して脅迫などの差別をされた事件)などを追及。

しかし、責任ある回答はなく時間になると知事は一方的に退席した。そこで議会中であった議場を封鎖する座り込みを決行。その結果、橋本知事は再交渉を一六日に行う約束をする。一〇月三日、山本利平議員は県会本会議でハワイ事件を中心に県当局を追及した。

山口県では一九六七年に同和行政の担当部署を係から労働民生部同和対策室にした後、一九七三年からは民生部同和対策課とした。

一九六八年一二月一日には山口市商工会議所で解放同盟山口県連第一七回定期大会が開催され、代議員七〇名が参加。委員長に金本謙次、書記長に山本利平、書記次長に村崎勝利などを選出する。