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第6話 「防府市会府議長選挙」差別糾弾闘争 

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◆副議長に「エタ」はいけぬ

一九三六年八月に二町二村が合併し防府市が誕生。新たに選出された市議会議員の中に、副議長候補のひとりとされた部落出身の議員がいた。

副議長選挙前の一二月、この議員に対し、3人の市議の間で「あれはこれだ(4本指)」「エタだからいけぬ」との差別言動をおこなっていたことが発覚。水平社県連は直ちに地元に全国水平社差別糾弾闘争防府地区委員会を設置した。

そして、翌一九三七年一月発行の『全国水平社山口県連合会ニュウス』で「防府市会副議長選挙に端を発し阿部、中村、松田三市議の失言問題暴露される!」「防府市長武光一の暴言に対し!吾等は断固として糾弾闘争を捲起せ!」「全県下の兄弟諸君!既にたち揚がった防府地区の兄弟を助けよ」「部落総会を開いて区民大衆に知らせよ!糾弾闘争委員会の組織を造れ闘争資金を送れ!」と糾弾闘争への決起を呼びかけた。

事件はその後、県社会主事木村尭が調停に立ち三市議が今後における融和事業に努力することやパンフレットを自主的に市民に配布することなどで解決したが、市長に対しては目的貫徹まで闘うとした。それは日常生活において、「行政区画上の差別事件」など解決すべき課題が存在していたからである。

◆県当局も動く(融和問題懇談会)
この事件に関しては県当局も動き、一月には山口県一心会(会長・戸塚九一郎知事)が主催し水平社幹部及び融和事業功労者を県会議事堂に招致し知事を中心とする融和問題懇談会を開催した。

この時、県当局は水平社県連の活動を無視することができなかったのである。

しかし、同年七月に日中全面戦争がはじまり、水平社は戦争協力へと突き進み消滅することになる。

◆「満州」山口村開拓団に参加
一九四〇年には山本利平も九月から一〇月にかけて山口県職業課主催の「満州」開拓団視察に山口県一心会から姫井伊助・藤野雅亮とともに派遣された。

一一月には山口県一心会の新評議員に水平社関係と目される村山頼義(高森)、沢田四郎(右田)、山本利平(下関)、田村定一(宇部)、伊藤政亮(山口)の五人が選ばれた。

一二月に開かれた紀元二千六百年奉祝全国融和団体連合大会へは、伊藤・田村・山本も山口県からの出席者に入っている。(参照/機関紙『融和時報』中央融和事業協会)

翌一九四一年六月に発行された資源調整月報『更生』第三八号(財団法人同和奉公会)には、下村春之助「満州に住めば差別は解消する(上)」が掲載され、被差別部落の人びとを「満州」に移民させ他国へ侵略する政策に加担させることを主張し扇動した。

山口県では下関市及び宇部市の被差別部落から「山口村開拓団」に参加した。

一九四一年八月に山口県一心会は、同和奉公会山口県本部に改組することを決定。

姫井伊介(県議)・国弘半治兵衛(元村長)らが理事に山本利平(下関市議)・田村定一(宇部市議)らは協議員になった。