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第5話 「山口県下部落代表者会議」

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◆県下部落代表者会議
高松差別裁判糾弾闘争などを取り組む中で、山口県内の水平運動は再び活発化する。
1935年4月3日に、山口県下部落代表者会議が宇部市・新川座で開催され、事務所を宇部市に移転することなどを決定、午後六時から演説会を挙行。
ポスターには「全国水平社山口県下部落代表者会議に集れ!地方改善費をウンと増額せよ!軍隊内の差別を一層せよ!」「佐藤中将差別糾弾大演説会へ押しかけろ!燃ゆる憤激の叫び!全水の精鋭大獅子吼!」「全被圧迫部落大衆団せよ!」と書かれ、弁士は松本治一郎(福岡)・田中松月(福岡)・泉野利喜蔵(大阪)ら外十数名と宣伝している。
その2日後、広島県福山市公会堂で全国水平社広島県連合会第12回大会が開催され、事前に配布された『全国水平社広島県大会準備闘争ニュース』には、弁士として松本治一郎らとともに、宇部市会議員の田村定一が来援し、午後7時から記念大演説会を開催すると予告している。
田村定一は同年3月にも広島市内の2つの被差別部落内の会場で松本治一郎らと演説会に参加している。田村定一は全国的な活動家であった。

◆山本利平が投獄
この時期、もう一人の活動家である山本利平は、官憲の弾圧により1934年10月から差別糾弾闘争などに関連して1年以上にわたり収監されていたが、35年11月13日に保釈出獄した。この時の萩刑務支所前での出獄記念写真には、松本治一郎・藤原権太郎・田村定一ら子どもを含めた約50名の人びとが写っている。
翌年、36年の年始広告(『水平新聞』一月)には宇部から「全国水平社宇部支部」「市会議員中央委員 田村定一」ほか2名が掲載されている。2月20日には衆議院選挙で松本治一郎委員長(福岡三区)が初当選する。6日後には二・二六事件が起き、軍靴の足音が確実に高まってくる。

◆軍隊内差別糾弾闘争
そんな中、6月以後に山口42連隊及び福山歩兵41連隊(演習中)で起きた差別事件に全水山口県連は取り組み、同年12月6日には宇部市琴芝通の信行寺で山口県部落代表者会議を開催。松本治一郎委員長(代議士)を迎え12支部45名が参加した。委員長に中村友一、書記長に田村定一、委員に山本利平(凡児)並びに伊藤政亮ほか17名を選出した。

◆政府の融和政策
一方、政府は恐慌以後の1932年から部落経済更生運動や地方改善応急施設事業を実施していたが、水平社からの不正暴露などの攻勢を受け、「昭和一〇年度全国融和事業協議会」(35年)で「融和事業の総合的推進に関する要綱」を決定、さらに1936年度を起点に「融和事業完成一〇カ年計画」を立案したが、政府がその計画を全面的に採用する予算を講じなかったので、折角の計画も中途半端に終わることになる。

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