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第15話 世界宗教者平和会議と町田宗夫・全日本仏教会理事長

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◆県内の同和対策事業
 1969年7月に公布・施行された同和対策事業特別措置法は10年間の時限立法であったが、3年延長の一部改正法案が全会一致により国会で可決され1982年3月まで延長された。

そして、1982年4月からは法律の名称を変更して地域改善対策特別措置法として1987年3月までの時限立法が施行された。

山口県は「特措法」が制定され16年が経過した1985年3月に『生活環境の改善‐目で見る同和対策事業の成果‐』(県民生部同和対策課)を発行し、その中で「これらの事業は、単に同和地区の生活環境を改善したに留まらず、関係住民の方々の生活水準の向上、自立意欲の高揚や地区内外の交流を促進するなど多くの成果を挙げることができました」(佐々木重行・民生部長)と記した。

さらに、山口県は1984年3月には『隣保館要覧』(県民生部同和対策課/山口県隣保館連絡協議会)、同年4月に『同和問題の理解のために』(民生部)などの冊子を発行し「同和問題の早期解決」をめざした。

◆宗教界での部落問題
 一方、1980年代になると宗教界でも部落問題が論議されるようになる。

1979年8月29日から10日間、アメリカ、プリンストンで第3回世界宗教者平和会議(WCRPⅢ)が開催され、46ヶ国から350人、仏教、キリスト教、イスラム教など10宗教の宗教者が集まった。

この会議で全日本仏教会理事長・曹洞宗宗務総長の町田宗夫(山口市禅昌寺住職、1916~2009)が「日本に部落差別ない」「部落解放を理由に騒ごうとしている者がいる」だけで「政府も自治体もだれも差別していない」「私は日本人だからあなたより一番知っている」「日本の名誉」のために「部落問題は絶対削除してもらいたい」などの事実に反する差別発言をおこなった。

この町田差別発言事件糾弾闘争を通じて、曹洞宗・真言宗・天台宗・臨済宗・浄土真宗本願寺派などでの差別戒名(法名)・差別墓石問題・差別過去帳問題などが明らかとなる。

その後、町田宗夫・住職は1984年にナイロビで開催された第4回世界宗教者平和会議で発言を撤回・謝罪。そして、町田宗夫・住職は県内外でさまざまな機会をとらえ部落解放を宗教者として訴え続けた。

◆同宗連の結成へ

 また、宗教界では「深き反省のうえに、教えの根源にたちかえり、同和問題解決へのとりくみなくしては、もはや日本における宗教者たりえない」との基本精神と決意のもとに、1981年6月29日に京都の真宗大谷派会議場で同和問題に取り組む宗教者連帯会議が55教団・三連合体の参加により結成される。

山口県では1987年7月28日に山口市・県スポーツ文化センターで12教団・宗派から約300人が集まり山口県同和問題に取り組む宗教教団会議(山口同宗連)が結成され、議長には桑原範雄(浄土真宗本願寺派)が選出された。

◆解放同盟の支部が結成

 この間、部落解放同盟県連は1980年の定期大会以後の1年間に新南陽市支部と防府支部を結成、1983年に光支部再建・岩国支部結成、1986年に柳井支部を結成する。