第17話 西日本夏期講座の成功と山口市結婚差別事件
◆全国自由同和会の結成
中曽根康弘内閣はいわゆる「戦後政治の総決算」を標榜し、一九八六年七月六日に衆参同日選挙を実施し圧勝する。
二週間後の七月二〇日には全日本同和会を脱会した人たちが、京都府内で全国自由同和会を結成。同会は二〇〇三年に自由同和会に改名。けれども、全日本同和会山口県県連合会は自由同和会に合流しなかった。
◆「地対財特法」施行
一九八六年八月五日には政府・地域改善対策協議会(地対協)の「基本問題検討部会」が「部会報告」を、一二月一一日には地対協が「意見具申」を出した。部落解放同盟は、内容が「国家主義的統制と当事者ならびに運動団体を排除しようとするものである」などとして、全国的な抗議活動を展開した。
「部会報告」直後の八月一九日に戦前・戦後を通じて山口県の部落解放運動の中心人物の一人であった山本利平(一九〇三年生まれ)が下関市の自宅で急逝、現職の全国部落解放運動連合会中央副委員長並びに山口県部落解放運動連合会委員長であった。
こうした中、課題を残しながらも一九八七年四月一日から五年間の時限立法として「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(地対財特法)が施行された。
◆西日本夏期講座・山口大会
この年、部落解放同盟山口県連は五月二四日に山口市内で第三六回定期大会を開催し、七月二八日と二九日に山口市の県スポーツ文化センターで開催予定の第一二回部落解放西日本講座の成功をめざした。
当日、同講座(主催・部落解放研究所・同集会山口県実行委員会)には県内から三八〇〇人、県外から三〇〇〇人が参加し、画家の丸木俊、元全日仏理事長の町田宗夫、関西大学教授の鈴木祥蔵、岩波書店社長の緑川亨、部落解放同盟中央本部委員長の上杉佐一郎が講師を担い、集会は盛会であった。
その後、山口県連は九月六日に体制を強化するため小郡町内で臨時大会を開催し、松浦憲二を委員長に選出した。
一九八九年一月には、元号が「昭和」から「平成」となる。時代は激動していく。
◆山口市教委職員による結婚差別事件
同年三月九日に松浦憲二県連委員長(山口市議)が山口市議会で職員の結婚差別について質問。事件は「婚約者が部落出身と知った娘の父親で、山口市の職員がその結婚に反対、強引に別れさせる」というもので、小林市長は「職員が、人権尊重の立場から、遺憾な事件をおこしたことを心からお詫びする」「今後は、これを教訓に同和問題研修にいっそう努力したい」と述べ、熊谷教育長も「職員研修を見直し、市教委に対する信頼を回復したい」と答弁した。
七月には参議院選挙で与野党が逆転。一一月には日本労働組合総評議会(総評)が解散し日本労働組合総連合(連合)が発足。国際社会では「米ソ冷戦」が崩壊しはじめる。