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第10話 柳井正雄と全日本同和会 

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◆佐藤栄作から電話が
「ある日」、衆議院議員の佐藤栄作(一九〇一~一九七五)から柳井政雄(当時は県会議員、任期は一九五五年四月三〇日~一九五九年四月二九日)に電話があり、柳井は田布施町の佐藤宅を訪問。そこで三重県の堀木健三議員に会ってくれと頼まれ、後日、衆議院議員会館で柳井と堀木が話し「近く自民党の中に同和対策特別委員会を設置することになるが、その委員に貴方を推薦しようと思うが、引き受けてくれるだろうね?」と堀木が言い、さらに「審議会委員になってもらいたい」こと、広島の山本政夫、土岡喜代一も「新しい団体の会長に柳井をと言っている」ことが伝えられ、柳井は了解した。

その後、柳井は山本政夫(一八九八~一九九三、融和運動家)、自民党・秋田大助議員(一九〇六~一九八八、徳島)、自民党・灘尾弘吉議員(一八九九~一九九四、広島)との付き合いがはじまる。

そして、一九六〇年四月一四~一五日に、兵庫県中小企業労使センターで「同和会準備会」を開催、八県の代表が集まった。山口県からは柳井政雄、国弘義人、松田九郎が参加した。

さらに、一九六〇年四月二六~二七日の二日間、山口県庁職員会館講堂において、「全日本同和対策協議会」の運営委員会が開催され、山口県からは柳井政雄、松本舛一、橋本菊一、松田九郎、池田正、竹中徳尚及び山口県教育庁社会教育課の三原清蕘が参加、全体では二府一六県からの参加。

◆全日本同和会の結成
結成準備は急速に進められ、一九六〇年五月一〇~一二日には東京・虎の門の社会事業会館ホールで全日本同和会が結成された。会長・柳井政雄(山口)、副会長・杉本信雄(兵庫)・森岡深太(高知)、常任理事兼事務局長・山本政夫(東京)が選出され、山口県からは理事に国弘義人が選ばれた。さらに顧問として山口県からは橋本正之(一九五八~一期衆議院議員、一九六〇年からは山口県知事)が就任している。

山口県内では、既存の山口県部落連盟を全日本同和会が結成された日をもって、全日本同和会山口県連合会に改組することを事前に決定していたので、その日をもって組織された。役員には会長・柳井政雄、副会長・国弘義人、書記・秋里兼一、会計・橋本菊一を選出した。

一九六〇年五月一〇日は三七年前に、山口県水平社が創立された日である。

◆同和対策審議会設置法案が可決
全日本同和会結成直後の五月一四日に自民党、社会党及び民社党の合意により同和対策審議会設置法案が共同提案され参議院で可決されたのは七月一五日、同日に岸信介(一八九六~一九八七・佐藤栄作は実弟)内閣は総辞職する。この内閣で佐藤栄作は大蔵大臣であった。

「六〇年安保闘争」、総資本対総労働の闘いと言われた「三井三池闘争」(一九五九年八月~一九六〇年一一月)の最中に、同和対策審議会設置法案は国会で可決成立する。

「三井三池闘争」では、部落解放同盟は労働組合と共同して闘っていた。