第8話 「宇部警察署差別事件」糾弾闘争
◆全国委員会山口県連の分裂
一九五三年一月一七日に防府市英雲荘で県下部落代表者会議(柳井政雄県連委員長)が開かれ、役員選挙では山本利平と金本謙次が新役員に選ばれなかった。
この頃、組織内では意見の対立が表面化する。つまり、一九五三年四月一九日に第二六回衆議院選挙(バカヤロー解散)が実施され金本謙次は社会党の細迫兼光を応援し、柳井政雄は知事を辞任し無所属で立候補した田中龍夫を応援した。結果は二人とも当選したのであるが、ほどなく田中は自由党に入党した。
一九五三年七月一七日には二つの県連の会合が開かれた、一つは柳井派(国弘義人・秋里兼一ら)の会合。もう一つは山本・金本派の会合で、山本らは柳井政雄の除名を決定した。
七月三〇日には部落解放全国委員会の中央本部統制委員会が柳井政雄の除名を決定。柳井派は八月八日に山口市山泉荘で拡大役員会を開催し五五地区代表名で中央本部の除名に対して抗議。その後、中央本部へ抗告をしたが一〇月三日付で除名が確定。
◆巡査が差別発言を繰り返す
その最中、差別事件が発生した。一九五三年八月一二日に宇部市内の被差別部落を通行中の巡査が自転車の荷台から荷物が落ちかけていたのを注意されたのに対して、差別発言を行ないわめいてあばれ、その後も他の巡査がパトロール中に差別発言を行なった。
宇部市警は二年前にも採用試験に合格した二人の被差別部落出身者を採用しなかった事例があった。
『解放新聞』第六一号は、この闘いを次のように報じている。
「宇部市警の差別事件糾弾部落民大会は、(九月)二二日宇部市楽天地広場でひらかれた。この日、トラックでのりこんだ岩永支部をはじめ県下各部落がつめかけ、女もまじえて三百数十人があつまった。宇部ソーダ、チッ素、鉄工の労組、平和委、朝鮮民戦などからメッセージをうけ、宇部市警をいかに糾弾するか活ぱつに討議された。
そして古い謝罪文的糾弾から差別の根元をつく、差別行政に対するたたかいにはってんさせる。この闘いに勝つため、労働者とせっきょく的に協力していこうと方針をきめ県、宇部市、市警えの抗議文をきめ、交渉委員を選出して大会をおえた。闘争委員会は二二日、六日と二回にわたって市長、署長と面会責任を追及、だんこたたかうことを宣言した」とある。
◆謝罪文的糾弾から差別行政糾弾
この時のポスターには、スローガンとして「差別市政を解放行政にして部落民の生活安定と向上へ」との文字が書かれていた。すでに全国各地では差別事件を通じて「差別行政反対闘争」を展開していたが、宇部市でもその闘いがはじまりつつあったといえる。
と同時に、宇部警察署差別事件糾弾闘争は、すでに柳井政雄を除名した直後の闘いであるためか、労働組合との共闘を重視した雰囲気があった。
この間、金本派は金本宅で八月二五日に第七回県連大会を開催。