西中国同和教育交流会が広島・大和町で ~善道キクヨさん 祖国復帰40年から学ぶ~
第37回西中国同和教育交流会が6月15日(土)、16日(日)、広島県三原市大和人権文化センターにて開催され、山口県同教、広島県同教、島根県石西高同研など同和教育に取り組む教職員など50人が参加し、学習と実践交流を深めた。
開会行事のあと、芸備近現代史研究会の割石忠典さんより「メモ・芸備の被差別部落史についての私的な課題と現在」と題した研究報告がおこなわれた。
続いて「善導キクヨさん祖国復帰40周年を迎えて」と題し、解放同盟大和支部の稲田京子さんより、記念講演がおこなわれた。
稲田さんからは、人身売買によりマレーシアの「娼館」に売られていった女性たち「からゆきさん」、大和町の部落出身・善道キクヨさんの生い立ち、祖国復帰運動の報告がおこなわれた。
★善道キクヨさん
善道キクヨさんは、1899年広島県大和町(現三原市)の被差別部落に生まれた。彼女は幼くして両親をなくし、小学4年で学校を辞めて、姉を頼りに岡山で、ござ作りや紡績工場で働いた。
17歳のとき「神戸にいい仕事がある」と女衒(遊郭などの人身売買の仲介業)にだまされ、船に乗せられマレーシアに連れて行かれた。
受け取ってもいない借金のために、娼婦として3年間、働かされた。
その後、インド人と結婚、義理の息子を医者にするのに苦労する。
マレーシアでも、日本人が多くいるところでは「新平民」という言葉が出てきて、身がすくむ思いをしていた。
映画監督の今村昌平さんが「からゆきさん」の制作のためにマレーシアを訪れ、その取材中にキクヨさんと出会った。それがきっかけで、地元の解放同盟や大和町が中心となり、キクヨさんの帰国運動が起こった。そして1973年、57年ぶりに帰国することが出来た。しかし、帰国3年後に77才でなくなる。今年が、キクヨさん祖国復帰40周年にあたる。
2日目は、島根、山口、広島の3県から子どもたちを取り巻く実態や実践のレポート報告がおこなわれた。
次回は11月に山口市内で開催予定。